スチューデンツ オブ パブリックスクール 1



水島は流苛たちが帰ると、ふぅっとため息をついて落ちた眼鏡を探し始めた。

裸眼だと極端に視力が悪いのだろう、見えにくそうに目を細めながら。

「あ・・・すみません」

水島の眼鏡を拾い上げたのは先生だった。

「・・・フレームも歪んでいないし、レンズも割れてないね」

「良かった・・・音がしたので割れたかと・・・」

先生はひと通り眼鏡を点検すると、受け取ろうとした水島の手には渡さず横のテーブルに置いた。

水島の表情が一転険しくなった。


「ようやく自分のしたことに気が付いたかい」


「・・・・・・わかってますよ。だからさっさと此処から出して下さい」

「出て行ってどうするの」

「そうだなぁ・・・適当な学校見つけて転入しますよ。
退学理由なんてこの学校からなら、そこら辺の私学は目を瞑ってでも受け入れてくれる・・・」


バキーィッ!! ガタタ――ンッッ・・・!!


一撃で水島がひっくり返ってしまった。

無防備に話しているところに鉄拳をモロに頬に喰らって、いくら大柄な水島でもひとたまりもなかった。

後ろのテーブルに突っ込むような形で倒れた。


「出て行くのはいいさ、僕が聞いているのは責任の取り方だよ。逃げる算段じゃない」

「・・・ふ・・うぅっ・・・いきなりかよ・・・まぁでも・・・これでおあいこですね・・・」

口の中を切ったようだった。水島は口元を拭いながら、体を起こした。

「・・・退学・・したら、もうこことは関係ないから・・・責任は・・・それで・・いいだろ・・・」


「退学したらね。だけど君はまだここの生徒だ」


「だから!さっさと退学にしろよ!!・・・それとも世間に出せないんですかね。
恐喝なんてこの学校始まって以来のスキャンダルですよね」

眼鏡を掛けていないのに、眉間に手が行くようだった。

また僅かに手が止まって、水島はイラつく仕草そのままに前髪を掻き上げた。


「そうだね、そのまま終っていればね。・・・竹原君のご両親に郵送で全額返金したそうじゃないか」

「・・・・・・・・バレてしまった以上、どうせ返す金ですから。・・・使う暇がなかっただけです」


郵送で全額返金・・・宿舎に行く道で、水島が荷物のカバンと一緒に手に持っていた茶封筒を思い出した。


―村上さん、ちょっとセンターに寄ってもいいですか。出しておきたい郵便物があるので・・・―


使う暇がなかった・・・どういう経緯で竹原から金銭が渡ったのかはわからないが、たぶん水島は使えなかったのだ。

水島のあまりにもわかり易い言い訳は、反対に彼の良心の呵責を見る思いがした。


「竹原君がどうして僕のところに来たかわかるかい?君の謹慎を解いて貰うためだよ」

「ふん、金の次はお情けってやつですか。・・・あんなガキに!
・・・結構ですよ、その必要はありません。俺はここを出る」

「構わないよ、君の自由だ。但し、清算をしてからね」

低く静かに響く声。清算の言葉に、水島の手がまた眉間に掛かる。

・・・ぐっ!!と目を伏せたと同時に深い縦皺が亀裂のように走り、手は空を切った。


「金は返した!!退学すれば、ここの全てと縁を切る!!これ以上の清算はないだろ!!」

「相手じゃない。自分に対する清算だよ、水島」

「俺の・・・」

「そうだよ。竹原君のことをガキと言っていたけど、君も変わらないね。中一生と同じことを言わせるな!!」


眼鏡を掛けていない水島の視力は、極端に悪いはずだった。

およそ周囲もぼやけてはっきり見えない中で、先生の表情もよく見えなかったに違いない。

面と面がつき合うほどの距離まで詰められて、水島はようやく見えたのだろう。


「ズボンと下着をおろして、ここに手をつけ」


テーブルを指し示す先生の表情に、逃げられない自分の姿を。


パンッ!


動こうとしないのか動けないのか・・・。

いずれにしろ手をつこうとしない水島の腕を、先生は促すように軽く叩いた。


「・・・いやです。・・・最後まで惨めな思いはごめんだ」


抵抗の言葉と共に、零れ出た水島の心の痛み。

先生は水島の心の痛みを引き出しながら、しかし静かに宣告した。


「いやでもこれは君がしたことに対する罰だ。罰は受けてもらう」


水島の清算・・・自分の心に対して、望む望まざるに関わらず。


「・・・出来ないのかい。それならさっきの流苛たちみたいに、ひとつひとつ教えようか。
そら、まずベルトを外してごらん」

流苛たち中等部一年生と同じ扱いは、水島のプライドを大いに刺激した。

ベルトのバックルに掛かった先生の手を、真っ赤な顔で振り払った。


「なら体勢を取れ、水島!」


「・・・わかりました・・・その代わり罰を受けたら・・俺はすぐここを出て行く・・・」

どうあっても避けて通れない局面に観念したのか、水島は自らバックルを外してテーブルに手をついた。


室内は静寂に戻り、鋭い緊張感が支配する。


先生が体勢を取った水島の真後ろに立たった。少し背を屈めて、水島の耳元で何か話しかけたようだった。

水島の肩がビクッと跳ね上がったが、先生はポンポンと宥めるようにその肩を叩いた。

そしてもう一方の手を前に回し、真横に引き抜いた。

手をついたままの水島が顔だけを上げて振り向いた目の前で、抜き取られたベルトが先生の手に絡みついていた。


「流苛がね・・・僕のところに竹原君のことを相談に来たんだ。彼は竹原君とルームメイトでね・・・」


手に絡みついたベルトの片方の端を取り、両手を左右に開く。


―先生!竹原君がお金取られてるの!高等部の奴だよ!先生!!―

―流苛、ゆっくり話してごらん―


ベルトの端と端を重ね合わせて、二つ折りにする。


「翌日竹原君から直接話を聞いて、その足で君の教室に行ったんだよ」


緩めて・・・


「・・・俺をとっ捕まえるのは早かったけど、その後は放ったらかしじゃないですか。一週間近くも無駄な時間だ・・・」

「無駄?君の無駄に、僕達はこの一週間つき合わされたのかい?ふざけるな!!」


――引く! パァン!! 


真後ろから聞こえた破裂音のような革の音に、水島は思わず大きく上体を反らして先生の方を見た。

その視野に、何が見えたのだろう。

二つ折りのベルトが高々と上がって、次にはもう水島の尻に打ち込まれていた。


ビシ―ッッ!! 


「うっ!!・・くぅ・っ・・!!」

呻き声と共にガクンと水島の体が沈んだ。

痛烈な一打に、肘がついてしまったようだった。

しかも続け様の二打、三打が、早くも崩れてしまった体制に容赦なく振り下ろされた。


「はうぅ・・!!っ・・・・くっそぅ・・っうぅ!!」

「頭を上げる!水島!」

打ち据えられる苦痛を肘の間に顔を埋めて凌ごうとする水島を、先生は認めなかった。

はぁはぁと荒い息遣いをしつつも頭を上げた水島に、待った無しの更なる一打が浴びせられた。


バチィーンッッ!!


ひと際高い音がして、頭どころか上半身が完全に落ちてしまった。


「・・っうぅ・・・痛てぇ・・・くっ・・・うぅ・・・・・・」

「痛いかい、水島。人に与えた痛みと身に受ける痛みは、どっちが楽だい?」


先生の言葉に、苦痛に歪む水島の顔がその瞬間だけ痛みを忘れてしまったかのような反応を示した。


「・・・・・・篤が・・何の疑いもなく・・言う通りの金額を持って来たんだ。あんなチビが十万円も・・・」


「君の眼鏡を壊してしまったからと言っていたよ」

「眼鏡なんて・・・・・・。あの日・・・実力考査の一週間前・・・」


水島は腕を震わせながら、ゆっくり上体を起こした。

途切れ途切れの言葉は、話しているというよりも心の中から溢れ出ているという感じだった。





―実力考査の一週間前・・・

放課後、試験に備えて参考書を借りに図書室に寄った水島は、帰り際出入り口のところで軽い目眩がした。

以前から直々疲労を覚えるようになり、中でも特に眼精疲労が酷かった。

眼鏡を外して目頭を押えながら暫く佇んでいると、ふと周辺に漂ういい匂いに気が付いた。

匂いを辿ると、出入り口の少し奥まったスペースの花台にヤマユリの花が飾られていた。


レースのカーテンが初夏の陽射しを和らげて、優しい光が花台のヤマユリに燦燦(さんさん)と降り注ぐ。


眼鏡を手に持ったままぼんやり花に見とれていた水島は、全く周囲に注意が向いていなかった。

ドンッ!と体に衝撃を感じて、あっ!と思った時にはもう眼鏡はフロアに落ちていた。


―ごめんなさいっ!つい本に夢中に・・歩きながら・・・・・・眼鏡!―

謝りながら半分泣きそうな顔で立っていたのが竹原だった。

―いや・・俺もぼうっとしていたから・・・ああレンズ、ヒビ入っちゃったな―

―僕のせいです!弁償します!いくらですか!?―

―えっ?いいって。そんなつもりで言ったんじゃない・・・―

―僕のせいだもの、新しい眼鏡買って下さい!お金は僕が出します!―


「ひと言ごめんだけで済んでいれば、それで良かったんだ。
・・・弁償するだのいくらだの・・・あまりにも簡単に言うから・・・」

金さえ払えば済むという態度にカチンときた水島は、ちょっと驚かすつもりで金額を吹いた。


―・・・・・・わかった、じゃ新品を買うから十万円くれ―

―はいっ!すぐセンターのATMで下ろして来ますから、待ってて下さい―

ところが竹原は笑顔さえ見せて、言葉通り銀行の封筒を手にすぐ戻って来た。

何の疑いもなく水島の前に差し出された封筒。

この時点まで水島は金を受け取るなど、考えてもいなかった。


「ホッとしたような顔で金を突き付けやがった・・・・・・」


水島の心の奥底に抑えられていた痛みが噴出した。



苦しくて 息が詰まる

何故(なぜ)! 何故! 何故!

母が苦労して得る金を

いとも容易(たやす)く手にする

目の前にいる奴は誰だ

年端もいかぬ ガキ

この学校の 奴らたち


母は今日も就労につく

咳をしていたじゃないか

それなのに 

司 ごめんね 

何も買ってあげられなくて

不自由ばかりさせて

司 ごめんね

携帯電話で話すのは いつも夜中

口癖になってしまった言葉を呟いて

母は明日も就労につく


ああ 母さん

苦しくて 息が詰まる



―お前・・・名札見せてみろ。竹原篤か・・・竹原!・・・チビ!―

―・・・ふぇぇ・っ・・は・・はいぃ・・・―

―あははっ、そんな顔するなよ。・・・篤、でいいな。こんなところで立ち話もなんだろ、俺について来い―

―あ・・・はいっ!―


二人は図書室のあるオフィスセンターから、高等部に通じる敷地内に移動した。

木漏れ日の差す樹木の中を分け入って、葉陰の下大きな木の幹に背もたれた。


―おい、本当に貰ってもいいのか。お前、親になんて言うんだ―

―どうぞ。僕の口座のお金については、父も母も何も言いません。
残高が少なくなったら、云(い)えば入れておいてくれるんです―


十万円を平気でどうぞと言う感覚に、それ以上の事は聞かずともわかった。


―・・・篤はお金持ちのお坊ちゃんなんだな―

―そんなことありません。ぼくのところなんて、普通です―

―普通・・・・・・―


そのひと言が内から外へ、痛みの矛先を変えた。


―そうか、じゃ貰っておく。悪いな―

―いいえ、ちっとも!・・・えっと、水島・・さん・・―

―うん。まっ、これも何かの縁だな、篤・・・―


水島が竹原に右手を向けた。竹原も照れた笑顔で同じように右手を出した。握手を交わす・・・


バシーィッ!!


水島の平手が、竹原のこめかみ辺りを直撃した。

もんどり打って竹原は草むらに倒れた。


―・・うぅっ・・・うあぁっ・・・・・―

―挨拶代わりだ。・・・あんまり舐めた真似すると、また殴るぞ―

―・・・ぼ・・ぼく・・な・・な・舐めて・・な・んて・・いま・・せ・・・―

いきなりの衝撃と痛みに、竹原は頭を押えながら泣くよりも恐怖に怯えてしまった。


草むらに座り込んだまま小動物のように身を縮ませる竹原と、息苦しそうにカッターシャツの胸元を肌蹴ながら天を仰ぐ水島。


時が止まったような沈黙も、二人の頭上では風が吹き抜け木の葉がざわめく。


―風が出て来たな。・・・帰るか、篤―

―・・ひいぃ・っく・・うぇっ・・うええぇん・・・うわああぁあんっ!!・・・・・―

恐怖と痛みに混乱して激しく泣き出した竹原を、水島は懐深く抱き寄せた。

―ああ、痛かったな、よしよし。ほら・・・擦ってやってるだろ、泣くなよ―


いつしか陽は西にかなり傾いて、葉陰が二人を大きく包み込んでいた。




「水島、価値観や感覚は人それぞれだよ。育った環境が違えば当然だろ」

「そんなことはわかってる!だけど・・・我慢ならなかった。あまりにも・・・」

「あまりにも・・・何だい?・・・君が思うほど、金で人の幸せは左右されないよ」


弾かれたように振り向いた水島が、先生を睨みつけた。

どこかで見た顔・・・・・・朝倉だ・・・三白眼。

水島の心の奥底の憎しみと苦悩が形となって表れた。


「それは綺麗事(見かけや口先だけ体裁を整えていること)だ!
ここの奴らは金に不自由なんてしていない奴らばかりじゃないか!!
何の気兼ねもなく、欲しいと思うものは何でも手に入って・・・そんな奴らに俺の気持ちがわかってたまるか!!」


「少なくともここで勉強する教材については、不自由することはないはずだよ。
・・・それが出来なくなること・・・君はずっとそれを気にしていたんだろう?」

「・・・先生・・・俺は・・・」

瞼が大きく開いて、解かれたように三白眼は形をなくした。

同時に、前に水島自身が話していた彼の家庭環境が思い出された。



―聡、水島ってマジ勉強出来るんだぜ。おれたち二年生の中じゃ、唯一の特待生だもんな!水島!―

―へぇ!?凄いね、水島君―

―よせよ、本条。オーバーに言い過ぎだ。俺の家は貧乏なんで金がないから、奨学金を受けているんです―

―お金は関係ないよ。水島君がそれだけ出来るってことじゃない。
和泉もバスケばかりしていないで、水島君と一緒に勉強したら。もうすぐ試験なんだし―

―うへっ、とんだやぶへびだ・・・退散、退散―



「水島、痛みをすり替えるな!君の痛みだ!」

ビュッ! 空気を切る音がした。


バチィ―――ンッッ!!


「はうぅっ!!―――っ!!」


パァ―ンッ!! ビシッ―ィッ!!


「・・くっ・・・・はぁ、はぁ・・・」


ビシャ――ンッッ!!!


「うあぁっ!!・・・あぁ・・・・・」

ズルズルと水島の体がテーブルからずり落ちた。

ベルトの威力は空気を切るだけではなく、身をも切るようだった。


「うぅ・・・頑張って来たのに・・・。高等部になって・・・勉強しても、勉強しても・・・成績が上がらず・・・、
委員長にも選ばれなくなって・・・」


「奨学金を打ち切られると思っていたのかい」


「お・・思わないわけがないだろ!!この学校で金の無い生徒の価値はそれしかないじゃないか!!」


水島の心の奥深く突き刺さっていた楔(くさび=断面がV字型をした道具)が、先生の手で引き抜かれた。

楔を引き抜かれた心は、粉々に砕け散って・・・



割れてしまったガラスの心が 悲鳴を上げている

鋭利な欠片(かけら)は身の皮を突き破り 肉に食い込み

きっとその心は血だらけだ


散らばった欠片は

痛みと涙と

拾い上げてくれるのは誰



「生徒の価値は金でもなければ成績でもない。この学校の校訓の中で学ぶ、君達一人一人が誇りであり価値だ」


テーブルからずり落ちて床にへたり込んだ姿のままで、水島は呆然と先生を見上げた。


「学校は審査面接を通して、君という人間に奨学金を貸与(たいよ)しているんだよ。そこには信頼しかない。
水島、君は成績のことで一度でも呼び出しを受けたことがあるかい?」


首(こうべ)が項垂れ握り拳に涙が落ち、すすり泣きはやがて嗚咽に変わった。

「うっうぅ・・・だ・けど・・・もぅ・・遅・・ぃ・・・」


背を丸めて咽び泣く水島の真上から、再びベルトの鳴る音がした。


緩めて・・・引く! パァンッ!!


音に吸い上げられるように水島の頭が上がり、床についていた手がテーブルに掛かった。

何とか体は起こせたものの、立ち上がるまではいかないようだった。

水島は座り込んだまま、涙で光る瞳を先生に向けた。


「・・・先生・・苦しいんです・・・苦しくて・・息が詰まる・・・」


しかし先生は非常な言葉で、水島の訴えを一蹴した。


「水島!体勢を取れ!もう一度!!」







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